旅日記 ヨーロッパ子連れ編1988

  ある日、いきなり会社勤めをやめてきて、次に「レストラン」を始めようと、突如、思い立った夫婦が本当にいた。  レストランなのだから、まず、ヨーロッパの食文化を身をもって体験するべきだと、あり金全部もって旅に出た。あり金はそんなになかった。 行き先は、バルセロナ。 ヨーロッパにあてなどないぼくたちが、会ったこともない友人の妹が住むスペインのこの街に、とりあえず、まずいってみようと考えた。行ってどうなるのか、ほんとうはよくわからなかった。
このとき、わが長男は、1歳3ヵ月。妻ミヨちゃんの体内には、5カ月の胎児が宿っておった。 翌年3月出産予定の赤ちゃんのことは、二人だけの秘密だった。
「何かあったらどうするの!」
こう言われるに決まっているから、みんなに黙って出発することにした。若かった。 その当時、『格安チケットどっさり雑誌』などまだなく、東京の友人にチケットの手配をお願いした。 届いたチケットは
「大韓航空 成田・ソウル・アンカレッジ(給油)・パリ」
今は、なき、アラスカ経由の便だった。 料金は、大人が16万8000円、乳児料金が平常大人料金の2割分で10万円ほど。 乳児座席は壁につるす小さなベッドで機内食などなし。それでこの価格だった。 今から考えると、乳児運賃より今頃のチケットの方が安い。 が、当時は、そんなに選択肢がなかった!

 さて、1988年9月。ワイン通には応えられないヴィンテージイヤーだが、それはさておき、 成田出発のまさにその日の朝刊に『天皇下血』の大トップ記事が…。ゲッ!ゲケツってなぁに。 重い病気なの?(2ケ月以上の旅の途中で「元号」が代わってたりして?)そんな思いが頭をかすめた。 そして、ソウルではオリンピックの真っ最中。その直前に起こった「大韓機爆発事件」ちょっと前には、ソ連機による「サハリン沖撃墜事件」。 当時の韓国に入国するにはヴィザが必要で、 (われらは乗り継ぎだったので持ってない。) 搭乗手続きから緊張しとりました。 「ドライバテリモッテマスカダシテクダサイ!」 「ヘ?ッッッドライバテリ?アッ乾電池?カメラに入ってるよ。」 「ゼンブダシテクダサイ!」 (うげー!ここまでやるとはね。)このあと、パリまでわれらのスナップはありますぇん。
その時のわれらの服装と装備だが。
「着替えは全員3替わり。以上。」 「みっ三月もいるのに!!!」 「文明国に行くんだゼー、必要なら買えばいいジャンか。」 「りょうくんのはもっと持って行ってイイ?」 「それじゃ5替わり。」 と言う分けで、靴下3、パンツ3、シャツ3と60・のナップサックに詰め込んだところ、ケチリ過ぎてユルユル。  そのあとに、紙オムツの山のような量を地べたに広げ。これを詰め込んでビッシビシのパンパンにナップサックを膨らませた。 更に、小さなボストンバッグにも紙オムツ1パック。 「紙オムツ売りに行くの?」とミヨちゃん。 「なかったらどうする?あったにしても絶対日本製がいい!」 と、変な自信を持って言い切った。これは、大当りだった。 ナップサックとボストン一つ。それから、アルミフレームの子供の背負い子。 これがすべてだった。ミヨちゃんは、全くの手ぶら。 「ハンドバッグは?持つっちゃダメ?」 「置き忘れる。ひったくられる。盗まれる。」 ぼくがスリなら、バッグをその辺に置いちゃうミヨちゃんのそばを離れない。 ナップサックの中味は、着替えのほかに常備薬、洗面道具。フランス語とスペイン語の本。 腰に、パスポート(2人分と赤ちゃん並記)、トラベラーズチェック(日本円)、航空券を巻つけ 使ったことのないVISAカードと現金を財布にいれ、 (これが一番神経を使ったのだが)どうみても、金持ちに見えない濃い目の服を着て、 履き古したスニーカーに、新品の紺の靴下(こんな濃い色持ってなかった) まあ、その辺の山に登るほどの軽装でありました。

わぁ、全部フランス語の国
さあ、あと数時間でパリに着くぞ。その前に。飛行機のなかで頭を悩ませたのは「今何時でどこにいるのか?」の問題だった。考えなくても時間になったら着くのだが、考え出すと目が冴えてきてしまうのだ。『地下鉄は、どこから入れるか考えたら』現象で頭の中はいっぱいになった。だからと言うわけではなかったが、『フランス語』対策が手薄になってしまった。あと3時間で到着というころになって、はたとバッグに手を突っ込みフランス語の本を膝の上においた。最初の「この本の使い方」を終え、本文に入った。はいは、「oui」そうか。いいえは、「non」なるほど。この辺りで隣の外国のでかいオッサンの顔がぼくの方に近づいてくるのを察知した。まだ本を開いたばかりだというのに、覗き込まれている。たいくつなのだ。「キミハ、フランスゴノ ベンキョウヲスルノカ?」やっぱり見られていた。あと数時間で着くのに、[oui][non]のページから始めようとしていた、パリに着くまでの間の悪あがきを見とがめられた気がした。フランス語は、全く知らないのだった。自慢じゃないが、スペイン語もそうだ。第2外国語のドイツ語は、犬と猫位は知っている。どうだ!(今さらフランス語の本よんでもしょうがないよな。)あと2時間で試験が始まるというのに、一度も教科書を開いたことがない学生時代の悪夢をここに、 ナマで再現しようとしていた。(こんな広い範囲の勉強できないもんね!) そのころうちの子供は、機内に搭載してある牛乳パックをすべて飲み干しスヤスヤ寝ていた。とにかく牛乳が好きなのであった。1才3ヵ月で「うーにゅ」と言って良く飲む。機内でもハングル語のお姉さんに何度か牛乳あるかと聞くと、かならずうんざりした顔の後でやっと持ってきてくれていたが、もうそれもないと言っていってしまった。それが聞こえたのか、わが子は、ぐずりもせず眠ってしまった。あのころの「乗務」は、確かに命懸けだったのだろう。しかし、ミヨちゃんはあれ以来、この機に乗ろうと言わなくなった。(安いんだけど)
ド・ゴール空港 ともかく、機は、無事シャルル・ドゴール空港に着陸した。入国審査も終えた。 (この当時は、フランス入国にビザが必要なころだった。) この後、機内の荷物はどこにとりに行けばいいんだろう。空中を走るエスカレーターに乗って、意味は不明だったが「Baggageclaimバッゲージクライム」と書いてあるほうへ向かった。 未来都市のようなエスカレーターの上で、耳に入ってくるアナウンスの言葉は、全部フランス語か?わぁ、来てしまった。 Baggageclaimで自分たちの乗った便が表示され、ナップサックもちゃんとでてきた。 さてそれを持って税関をくぐろう。ここが税関?みなさんノーチェックですね。ほんとにここ? もう一つ何かゲートがあるのかと思ったが、知らぬうちに税関をも通過していた。 早朝、まだ6時前だった。新たな緊張感でブルっと体がふるえた。両替の前にトイレに行こーっと。洗面所の入り口を一歩中に入った瞬間のカルチャーショックをぼくは10年経つが忘れられない。 トイレに入るのに男子と女子を間違えぬよう確認はするが、そうゆう間違いを犯したわけ出はない。一歩中に入った瞬間に、ぼくのような背丈の人間にとって、あらがう事の出来ない躊躇を呼び起こさせる。それは数メートル先のハイポジションに位置するオブジェの列である。 その普段の機能を備えた、小便を受け止めるべく設計された白い陶器なのだ。同じような機能を備えているわけだから、それにズボンをぬいでこちら向きに腰掛けて大便をしている外人がいたわけではない。まして、女性がそれに向かって小便をしていたわけでもない。
高いのだ。あの大男のとなりに立って、まして爪先立ちさえして、それでもぼくの股の位置がそこまで届かないかもしれない。数メートル手前の憶測でその危険性が感じられた。生まれてから今まで、こんな躊躇を経験することはなかったものだから、瞬間に、大便をしにトイレに入った人間であると、とっさに気持ちをすり替えて次の行動に移った。 ずるいもんだ。そうさ、始めから大便がしたかったのさ。あんな小便器に用はないんだ。 すたすたと、一直線に個室のほうに向かいつつ、どうしても横目で自分の股の高さとあの陶器の底辺部の位置の測量をせずにはいられなかった。これが潜在的見栄であった。 なにも見栄など張らず、個室に入ってズボンを下げ、小便だけして、トイレットペーパーをガチャガチャ回し、拭き終え、水をながして出てくれば何の問題も生じないのに、ぼくの横目は、白い陶器に吸い込まれ、足がそれに釣られるように左に旋回した。(できるかもしれない?)

Gare Nord.これなんて読むの?
恐る恐る 腰を前に着きだし加減でアサガオ(小便器)に近づくにつれ、もしかしたら?という感じになってきた。いけるぞ!毎日何度もズボンのジッパーを上げ下ろししているはずなのに、あのときのジッパーを下げる感触はまだ覚えている。(なんだそりゃ!)ただ、やっぱり爪先立ちしたことは正直に申し上げよう。初めてのヨーロッパでいきなり思わぬショックを受け、「いやー」といいながら出てきた、トイレの様子を詳しくミヨちゃんに報告した。キャッキャと笑われたが、でも心からつまさきだちでも排尿できてよかったと思った。あれでとどかなくて、みじめにジッパーを上げ、すごすご個室に入って行くのを隣の大男に笑われたら、きっとこの国を好きにならなかったかもしれない。フランスのトイレメーカーの皆様。あと数センチ低いとバランスを崩さずに用をたせるのですが…。フランスのお金に両替を済ませ、ベンチで一休みしながらこれからの計画を練った。まず、この空港から、パリの街にでなければならない。そして今日1泊のホテルに着かねばならない。ホテルは、この1泊分だけしか予約していなかったので、さらに明日からのホテルを探さなければならない。するとそこへ日本人の若いカップルが、ぼくたち家族の方に近寄ってきた。 「こんにちわ!」なんじゃらほい。なんか用?カメラのシャッターでも押せっていうの。「パリまで行きたいのですが、一緒にいきませんか?」甘ったるい声で言った。明らかに、ぼくたちと行けば道案内をしてくれるだろうと期待しているようだ。「初めて来たもんで、バスですか?どこから乗るんですか?知ってます?」こういうと彼等はどこかへ立ち去って行った。  どっかりベンチに腰掛けた子連れのわれらは、 旅なれた先達とでも勘違いしたようだった。いつまでもここで休んでいられない。時刻も午前7時近くになってきた。そろそろパリ向かおう。空港から、ロワシーという駅まで無料バスが出ているというので、それに乗っかりあっという間に駅に着いたのに、知らずに降りずにいると、運転手に早く降りろとせきたてられた。「ここ?」空港から5分も乗ったろうか。「これなら無料だわ。」バスを降りた人達を見ると、ホテルに向かって入っていく。後ろについて入って見ると向こうに切符売り場が見えた。ここがロワシー駅だった。切符売り場にたどり着いてから、「パリ北駅。Gare Nord」へ大人ニ枚買いたい。(なんて言えばいいんだ?これはいったい何と読むんだ?ガーレ・ノード?まいったな!)前の人が去り自分の番が来た。指2本さしだしながら初めてフランス人に言葉を使った。「……フラン。」彼はこういった。お金をわたすと、2枚の切符とともにお釣りが出てきた。ロワシー駅の係員は、フランス語を話せない大勢の人達に、毎日切符を販売しているのだ。ガーレ・ノードだろうが何だろうが、北駅行きの切符だということを察するのか。無事に行きたい場所の切符を易々と買えたので、出だしとしては好調だった。…にしても、あれはいったい何と発音するんだろう。
気持ち悪い!トイレどこ!
 つぎは、ミヨちゃんのトイレ騒ぎだ。日本を出発してから飛行機の中でたっぷり20時間もゆられ、フランスに着いても、バス、列車、地下鉄と乗り継いで、着いたところは、サン.シュルピスという、サン.ジェルマン・デュプレの次の駅。ここいらに今日のホテルがあるそうだ。 乗り物酔いか、ツワリか、何しろひどく気分が悪そうなのである。時刻は朝8時ころ。通勤のパリジェンヌたちが、石畳の上を背筋を延ばして過ぎ行く、人通りの多いところだった。 「…トイレ…ない…?」 せつなそうな声に、(カフェ、カフェ、)と、ぼくは辺りを見回した。 近くに、映画で見たようなカフェがあったが、通りの向こうにもっとしゃれたカフェがあった。 ミヨちゃんは、てっきり近いほうのカフェに入るものと思い、苦しそうな呼吸で、入り口に近寄って行ったが、 「あっちまで行ける?」と、ちょっと遠いほうに心を動かされていた。 パリで入る初めてのカフェを、緊急事態にもかかわらず、店構えを優先してしまった。 「いいよ…。」 きっともう喉まで出かかっていたのかもしれないが、飲み込んでくれた。 カフェに入るや否や、地下のトイレに向かったが、すぐ引き返してきた。 「どうしたの?」 「…お金がいる!お金がないとドアがあかないの!」 慌ててズボンのポケットのコインを差し出した。これがうわさの、有料トイレか! 子供を椅子にすわらせ、背中のリュックを降ろし、ウェーターのお兄さんに、また二本指を突き出し、「ドゥ、キャフェ!」「ワンミルク!」と、注文した。全くわけのわからない言葉でなかったのか、子供を指さし「アイス?」と聞いてくるではないか。 「ウィ!」 ぼくのフランス語がまた通じた。ハハハ。 (何とかここまで来たもんだ) ここのカフェは、満更でもなかった。仕事前に、「ボンジューッ!」と、朝の打ち合わせか、毎日の習慣か知らぬが、ぞくぞくと、ピシッとしたスーツやワンピースをキメタ男女が、周りの席をうめていく。 みなさん会社の経営者か、重役じゃないの?はたまたブティックとか、画廊にお勤めなのでしょうか。ぼくの様な浮浪者風ジーンズにスニーカーは、一人もおりませんぞ。 日本人じゃ、まず着こなせません。という個性的な色彩のボディコンシャスなスーツと、輪郭をはっきり描いたルージュ(口紅)。 出がけにさしてきた香水と、細い指先の真っ赤なマニュキアの間から立ち上る、紫煙の強い香り。 つま先も細く高いヒールをぼくの方に向けて無造作に組んだ長い足。骨っぽい膝の辺りからスカートの中が 見え隠れしている。 (待ってくれ。朝8時の情景にしては、刺激が強すぎるぞ。) 目の前の女性たちを直視するわけにも行かず、あちこち観察した。 間もなく、一辺1・程の角砂糖が3つ入った紙包みがのったコーヒーの皿二つと、ガラスのコップに入ったミルクがテーブルの上に置かれた。直径5・位の小さなカップの中に、薄茶色の細かな泡が表面にたっているエスプレッソである。 子供は、一人でミルクを飲みたがったので、落とさぬように渡すと、うまそうにグクグク音を立てて飲んでいる。ぼくは、あいている左手で角砂糖の包みをほどき、二個、エスプレッソの中にいれ軽くかき混ぜた。 こどものミルクが半分くらいになったところで、コーヒーカップを左手の人さし指の腹と親指の先でちょこっとつまみ口に運んだ。 (ウマイ!) 本当になみだが出そうになった。ヨーロッパの人達は、こんなにウマイコーヒーを飲んでいたのか! 日本で飲んでたのは、何だったんだろう。このコーヒーの味を、何とか日本に持ち帰って自分の店で再現しようと、残り少ないコーヒーのほろ苦さを鼻と舌に叩き込んだ。(コーヒーの遣唐師になったような心境であった。) しばらくして、少しすっきりとした顔でミヨちゃんが戻ってきた。 「ずいぶん立派なお客ばかりね。ここは、いいところなのね。」 客層の良さを、一番に言うあたり、観察が鋭い。 身なりの良しあしは、社会階層を表わすって言ってたのが痛烈に感じる。 どうせ日本語が通じないんだから、紳士淑女たちの服装に、「いいね、いいね。」と二人でおしゃべりしながら、つい、ダークカラーのわが日本人との比較が口を衝くのであった。 女性もさる事ながら、パリジャン紳士のスーツの着こなしの鮮やかなこと。シャツとタイの組み合わせの粋なこと。「かっこイイ!」「おれミジメ!」だんだんしょぼくれてくる。 「コーヒー、もう一杯飲む?」 「飲みたいけどもう出ましょう。」 二人とも何とはなしに、居心地の寂しさを感じたのだろうか。予約を入れていたホテルに向かうことにした。 あなたのホテルは、ココデナイデス!
土地感、と言う第6感が元々備わっているのか。ぼくは、道に迷うことが少ない。 それだけではない。行ったことのない土地でも、なぜか尋ね先にたどり着いてしまうことが多い。それが高じて、人に道を聞くのが大嫌いな人間になっていた。 子供をおんぶして、知らない土地を何時間もうろつき回るのは、増してしんどいものだ。 「どうやって探すの?」 「わからないけど、こっちだよ!」 この感覚を説明すると、自然に顔が進行方向を向くのだ。鼻が、磁石になっているのだろうか。 下を向きながら歩くと、地下に入ってしまうのだ。(ほんとうかな?) 「あそこじゃない。どうしてわかったの?」 この時も、確かにパリのこの辺りにあるだろうだけで、地図すら良く見ずに、歩いて数分で、ホテルがすぐ見つかった。 「ボンジューッ!」と声をかけてきた真っ赤なブレザー姿のフロントのお姉さんに、近寄って行った。 名前を言うと、彼女は慌てて、カウンターの向こうから出てきて、英語でのたまわった。 「あなたのホテルは、ココデナイデス!」 「予約してません?」 「予約はあるのですが、このホテルではない。」 「???」 彼女は、不思議がるぼくの前を歩き、ホテルのドアをあけ、外に誘った。 何だか意味もわからず外に出た。どうなってるんだいな!
通りに出ると、フロント係のお姉さんは、手を上げてタクシーをつかまえた。彼女は、一生懸命説明しているのだが、もうさっぱりわからなかった。 説明する度に、大きめの胸をぼくの体に押し付けるように、迫ってくる。そんなに近づかなくてもよいではないか。強い香水の匂と胸に圧倒され、後退りしてしまう。 タクシーに乗り込むように強く促され、お姉さんは、運転手にお金を渡し、なにやら話しかけている。わたしら、何処にいくのでしょう? タクシーは発車した。 タクシーの窓から進行方向を見ると、枯れ葉の似合うパリの町並にそぐわないのっぽビルが見えた。 車は、どんどんそっちのほうへ向かって進んでいる。 追いはらわれるように、車に乗せられたぼくたちは、程なく別のホテルの前で降ろされた。 「ここ?まぁ入って見よう。」ドアをあけて中にはいると、フロントの前は4~5人の列が出来ていた。なかなか前に進まない。どうやらもめている。アメリカ語でまくしたてている若い女性だ。 剣幕を建てる女性になす統べなく、みなさん後ろに黙って並んでいる。何でもめてるんだろう? その女性の番が終わって、流れに加速がついた。ちょうど、チェックアウトの時間だった。 「お金のことでもめてたみたいね。」ミヨちゃんは、さも解ったみたいに行った。黒い大きな財布を振りかざして、つっかかてたもんな。 「ねぇ、ここ一泊いくら?」ミヨちゃんは聞いた。 フロントの壁に張ってある黒いボードに白いはめ込みの文字で書いてある料金表を発見した。 「500フランだって。」 「明日も泊まれる?」 「残念だけど無理だね。」 「いくら位のところに泊まるの?」 「三分の一…かな?」 予算は、150フランがせいぜいなのだった。 ぼくたちの番が来た。フロント係りの人は、さっきあんなに怒鳴られたのに、何もなかったような冷静さで、さっさと手続きを始めた。怒鳴られ慣れているのだろうか。 追出されたホテルから連絡が入っているのだろう。えらいスムーズにチェックインできた。 エレベーターで行けと促されキーを渡された。エレベーターに乗るとミヨちゃんは、 「朝ご飯ついてる?」 「わかんないけど、朝食は下だといってたぞ。」 「ちゃんと確認しなきゃだめじゃない!」 添乗員は辛い。
 そこは、モンパルナス駅前通り!
荷を降ろし、部屋の中をじっと見渡せば、真紅のジュウタンにダブルベッド。ピンクのベッドカバーで、やけに艶かしい造りだ。 バスルームを見れば、おっとどっこい、ガラス張りではないか。これは、立派なラブスペース!まだ午前十時だというのに、こんな部屋に通すなよ。 でも、パリだと当り前なんだろうか?など考えつつ、とりあえず、わが子のミルクを買いに行かねば。この現実身が、子連れ旅の親の責任なんですな。新婚旅行でこんな部屋に通されたんじゃ、買い物になんか行きませんよ。きっと…。 ホテルから外に出て、数歩進んで振り返り、ホテルの名前と外観を再確認した。いつかシドニーで、ホテルの名前すら確認せず外に飛び出し、しばらくして迷子になったことがあった。 「ぼくたちのホテルは何処でしょう?」なんか言って、タクシードライバーに大笑いされた。浮かれて飛び出して、ホテルカードさえ持っていなかった。あのときは、大いに冷や汗をかいたっけ。 ホテルの場所は、わかりやすいところだった。高層ビルがすぐ目の前にある。パリの町並とちょっと違和感のある、例のノッポビルだ。何気なく、そのビルの下を見ると「Gare Montparnasse」と、大きく書いてある。「Gare」は、駅の事だと今日知ったばかりだ。ギャーレ、ガール、ゲール、なんと発音するのか知らなかった。で、ここは、モンパルナスの駅前だった。
パンやさんがあった。日本のパン屋に牛乳は売っている。なんの疑いもせず店内に入って行った。 いい匂のする焼立てパンの棚の何処を見ても牛乳はない。 「アレ?ない!」ぼくはつい声に出した。 店の人が何を探しているか聞いている。(何言ってるんだか?きっとそうだ。) (牛乳って、フランス語でなんだっけ?カフェオレの…レ…だ。)確信したぼくは言った。 「レ!」 まぬけのはなしだ。3回言ったが通じなかった。(レ)だけじゃだめか。そうだ冠詞をつけて 「アンレッ!」 もっとまぬけの自分が見えた。なぜ、「ミルク」じゃいけないのだ! 仕方がないので、牛乳がほしいのだと英語で話すと、その店員はあっさりと店の外を指差して 「あそこへ行け!」と、スーパーらしき建物を教えてくれた。 (えっ!パン屋に牛乳がおいてない。) フランスのパン屋には、牛乳があると確信していた自分が悪いのだ。 その後も、つい日本でこうだから、と思って信じてしまい、思わぬ出来事に遭遇するケースが続出した。 それはまず、牛乳を手に入れた直後にやってきた。
昼!昼!昼ご飯!
さあ、フランス人は、フランスで、毎日フランス料理を食べているんです。フランス料理ってどんなものでも言うのでしょうか? 初めてのフランス料理を食べようとモンパルナス駅周辺をうろついた。ガイドブックなど持ってないので、どこにどんな店があるかなんて全くあてがなかった。 ホントに料理の勉強で来たのかい? そうなんです。最初から一流の料理を覚えようなどしても、きっと身につかない。 普通の人が何を食べているか、そこから見て見ようと思ってきた。それから市場に何が売っているのか。それには、ガイドブックに頼るより、気の向くままがいい。 何件か下見して、入る店が決まった。表の黒板にチョークで『MENU 49F !』と、手書きでかいてあり、内容が細かな字で示してあるが、ぼくにはわからない。 ドアをあけると「ボンジューッ」のごあいさつ。席につくと、純白のレースの前かけに、同じレースの頭飾りをつけた、(昭和初期のスタイルの)10代のポッチャリした女の子ウエイトレスが、カルテ(日本で言うメニュー)を持って現われた。49フランのメニュー(セット料理)にしようときめていた。 しかし、ミヨちゃんは、まだ食べれる状態にないといって、スパゲティで良いといった。 (初めて食べるフランス料理が、スパゲティか…仕方ないか…) 「こっちにするから。」と、枠で囲ってある49フランメニューを指で差した。 注文を告げてもおねえちゃんは立ち去らず、まだ何か言って、ぼくの顔を見る。 「えっ!」なんて言ったのかわからず、キョトンとしていると、さらに同じ事をもう一度言った。 もっと声が大きくなって、金切声にちかい。ぼく、なんかエッチなこと言った? とうとう怒り出した。おしりを触ってもないのに、何を怒りだしたのだろう? 脇の下に汗をかき始めた。彼女はプンプン怒りながら、店の奥に引っ込んでしまった。どうしたんだ! 店の奥から、管理職らしい、紺色のスーツを来た女性が現われた。真直ぐテーブルにやってきた。 「…英語できますか?」 「ンム、ンム」とうなずく。 「あなたの選んだ料理は、スープか、サラダか、オードブルか、まず選んでください。」… 「えっ!」この瞬間、49フランの内容を見て全部理解した。 MENUの枠のなかに、料理が三行位あって線が引かれ、また四行くらいあって、更に三行書いてある。テッキリこの長たらしく書いてあるのが、全部出るのだと思った。 〔フランス料理は、なんたらかんたら書くのさ…日本だと[焼肉定食]ですむのに〕 などと、またしても勝手に信じていたのであった。 わかったとたん、しどろもどろになって、何を選んだのか、まったく覚えていない。 とにかく、こんな調子でパリ初日の食事がはじまった。 少し冷静になって辺りを見回すと、隣の席は、真っ白な頭をしたおばあちゃん二人が食事をしている。どうしておばあちゃんかというと、顔のしわの多さと、話し振りからでしかない。 何歳位かと聞かれたら、おそらく80歳以上と思うが、はたして、フランス人の女性の外見だけで年齢を判断できる自信はない。もしかしたら、120歳位かもしれないし、40歳かもしれない。 とにかく、そのお二人は、食事を終えようとしていた。皿の数から判断すると、ぼくの頼んだ定食とほぼ同じらしい。49フラン定食は、スープの量といい、お肉の量といい、満腹になる内容だ。 お二人は、それを残さず食べ終わっている。 (わーっすごいや!あの歳で、ぜんぶ食べちゃうんだもんなぁ!)など感心していたら、このおばあちゃんたち、ウエイターのお兄さんを呼び、また料理を追加注文している! 思わずのけ反りそうになって、しばし思った。 (この食べっぷりを見たら、日本人は西洋人と戦争しようなど、決して、思わなかったはず。日本のおばあちゃんのイメージと、メッチャかけはなれた、迫力ある食欲。あなどれません。) 食べる姿を見て、生まれもった胃袋の違いをまざまざと知ってしまった。食に対する、フランス人のイメージが「美食家」より「大食家」が先にでき上がった。 この後、バルセロナに移動してからスペイン人を見て、更に驚くのであった。