レストランの事を話そう

2511月 - による administrator - 0 -

1989年2月14日火曜日 セント バレンタインデーに開店した。
その前年数か月スペインとヨーロッパ各国を旅した帰りの開店だった。

それまで料理の修行などしたことなどなかったが、自分の才能にうぬぼれていて、
これでダメだったら、次の仕事を見つけようと、はっきり言って若気の至り。
アマチュアとプロの差は、歴然とある。ただ、医者や弁護士と違って国家資格があるわけじゃなく、もぐりのいかさまレストランは、世の中にはない。美味しくて、感じがよくて、そこそこの珍しいものを提供するのは、出来そうな気がしただけであった。

そのために、いっぱい本を買い込み、食品、食器、ナプキン、ワイングラス、サービスの仕方、そして美味しそうな料理の調理法と盛り付けなど二人で切磋琢磨したのであった。

でも、わからない事が山のように出てくるが、修行先の師匠も質問する相手もいなかった。
一番手っ取り早い方法が、ヨーロッパに旅に出ることだった。まだ見知らぬ料理や超一流店のサービスを直に目で見てやろう。この方法は、ダイレクトに仕事に直結するとともに、旅行して歩く楽しみも与えてくれた。家族4人で旅をして美味しいものを食べ、仕事につながる。こんな生活パターンが出来上がって行った。

さて、肝心のレストランは、どうなってしまったのかというと、旅行中1か月もレストランを閉めてしまうので、定休日という概念がなくなる。果たして いつ行ったらレストランが開いているのか本人も含め、わからない。予約制に自然となって行った。また、ソムリエの資格を取ったので定期的にワイン会と料理教室を開催。一方で、料理の販売や頒布会にシフトされていった。インターネットの黎明期でもあった。

そんなことを繰り返しているうちに、2008年ロビンソンデパート 札幌すすきの店からのお誘いであった。デパートで物販した帰りにレストランを開店など出来るはずがないので、当然ご予約もお断りするようになる。ここで販売していたのは、スペイン料理などのお惣菜弁当であった。それが、9月のある日「ベーコン」を焼いたところ。炎上した。

本当の火事ではない。人気に火が付いた炎上だった。3日間で1か月分のベーコンが消えた。「次はいつできるの」お客様が叫んだ。あの日を境に状況が変わってしまった。

レストランは、ベーコン工場となり、2階の床を抜きリフトをつけた。燻製の煙が2階にもあふれ出し、部屋の中のものまで燻製になってしまった。もうお客様などお迎えできない。

2015年10月 新店舗新築

今でも幻を見ているような気がするが、めるかーどを取り壊し、新店舗が完成した。
「レストラン」再会に向け営業許可も取得した。料理のレシピも洗い出し、ここ小樽の地でこっそりと始めようかと真剣にもくろんだ。

何組かの友人知人に料理を作ってみたが、結論が出た。
残念ながら、お客様をお迎えできる、気力も体力もすっかり失せてしまっていた。
これから夫婦ともども励ましあいながらレストランはできそうにない。頭で描いていた以上に、体力が必要な仕事と実感した。